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【2011.3.11】東日本大震災から6年がたった。被災した僕が思うこと。

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日本、そして世界を揺るがした東日本大震災から、6年が経ちました。

被災した僕が今になって思うことは、きちんとした”情報リテラシー”を身につけておくことが、今後生きるための大きな鍵になってくる、ということ。

当時19歳の僕は、日本全国ヒッチハイク中だった。
地元の熊本を出発し、順調に北上。

東京滞在が楽しすぎて予定日数をオーバー、栃木や茨城を置いて、一気に宮城県・仙台を目指し、夜通しでヒッチハイクをしたのが3月10日。
フラフラで仙台に到着したのが、翌朝3月11日の午前10時頃である。

日本三景を見るために海岸沿いの松島へ電車で向かったものの、降りる予定の「松島海岸駅」を乗り越してしまい、次の「松島駅」で下車。

歩いて行ける距離&節約のために、徒歩で松島へ向かう。
ついた頃には汗がだくだく、これは観光どころじゃない。

まず温泉だ。
ググってみると、少し山を登ったところに温泉旅館がある。
はぁはぁと息を切らしながら宿に着き、温泉に入る。

宿のおばちゃんにヒッチハイクで熊本から来たことを告げると、少し休んで行きなよ〜というご好意をいただき、個室で休憩させていただく。

カップ麺のそばをすすりながら、これからどうしようか、北海道までどれくらいかかるかな、和室のコタツでくつろいでいるときに、それは起きた。

『ドン。ドガガッガッガッ』

天井の照明は遊園地のバイキングのように揺れ、灯油ストーブの上に置いたヤカンは床にひっくり返る。
停電。
アラーム音が鳴り続ける携帯。

壁にかけられた時計は、14:46分で止まっている。
東日本大震災が起こった。

何かしたいと思いながらも、何もできなかった

震災が起きたその日に、宮城県庁へ避難した。

停電やパニックが続く中、情報が入りやすい環境、物資調達、全国・各国から集まるボランティア活動の拠点として機能していた。

当時mixiでヒッチハイクの日記を更新していた僕のコメント欄には、
かつてないほどのコメント数が寄せられていた。

「早く避難して!」
「本当の現状を教えて欲しい。」
「何か役に立つことをして!」

これまで気楽に旅をしていた僕が、大きな選択に迫られる。

  • 現地でボランティアをするのか
  • 県外へ出るのか

ヒッチハイクで出会った大人は言う。

自分が一番大切なんだから、早く安全なところへ行きなさい。
そこにいる理由は、何かの縁だよ。しっかり何かを学び取って。
お前にしかできないことをしろ。

僕は4日ほど仙台の県庁や小学校の体育館に避難し、ボランティア活動をした。

したんだけど、
これで良かったんだろうか。何が最善だったんだろうか。
もっとできることがあったのではないか。
今でも葛藤が消えない。

原発の情報がコロコロと入れ替わり、余震も続き、
あの時は一歩先の何かを掴み取るのに必死だった。
ボランティア活動をしてはいたが、
僕はあの時、何かをしたつもりで、何もできていなかった。

震災から6年経って僕が思うこと

どちらかというと情報収集を極力避けてきた僕ですが、
それでも震災関連について思うことはあります。

僕が思う問題は、
日本人の”右にならえ”体質は大きなメリットでもあり、デメリットであるということ。

深堀りするようなことは書きたくないので止しておきますが、
あえて言いたいこと、なぜ東北地の産物を販売するのかわからない。

地元を捨てたがらない人々、決断力・行動力に乏しい国の指針。
海外から帰国して、吉野家の米が「福島産」であることには驚愕した。

”応援したい”という想いの方向性が違う。
違うのに、なぜかみんな”大丈夫じゃね?”で済ませてる。食べる。
同じ船に乗っておけば問題ないでしょ、そんな雰囲気。

このことについては考えました。
将来を杞憂して、現在の食生活や行動指針に注意を払う必要がどれだけあるのか、と。
もしかしたら明日死ぬかもしれない。
それなのに、じじいになった時のことを考えて目の前の牛丼はお預け。
病は気から、というように、デリケートになりすぎるばかりに、不健康になることだってありえる。

でも、でも。。
やっぱり違うだろ。

もし国の中心が福岡だったら、今頃東方はどうなっているだろう?
国が負う”デメリット”のために、何かを犠牲にしている。
”右にならえ”体質の日本人をうまく誘導して。

僕が大きなことを言える立場ではないけれども、”情報リテラシー”ってすごく大事な要素だなって。
確実な情報を入手し、整理、そして自己の意見に組み替えていく力のことだ。

チェルノブイリと比較し、事故が起きて6年が経った今年・来年で被爆者がバタバタと倒れて行くことが予想されている。

現にくも膜下出血で突然死する事例が増えてきているらしいが、、
どうなるかはわからない。
どうなるかはわからない。

まとめ

”東日本大震災”・”原発”でググると、陰謀論めいたサイトがわんさか出てくる。
いつ南海トラフ地震が起きるかわからない。
明日、車に轢かれて死ぬかもしれない。

僕らにできることって、過去に支配されることなく、
将来を心配するでもなく、
”今”を淡々と生きることなんだなぁって思う。
そしてその”今”を生きるためには、きちんとした情報リテラシーを身につけておかないといけない。

その結果が自給自足を目指す田舎暮らしなのかもしれないし、東京で華やかに暮らすことなのかもしれない。
大事なのは自己満足。
これでいいんだ、という生き方をしていればいい。

あぁ、それでもあの日僕を引き止めて、旅館の個室に案内してくれたおばちゃんに礼を言わねば。
でもその旅館が潰れてるかどうかを調べるのが怖い。
宮城に行く、行くと言いながら、結局行けていない。
いつ行こうか、いつ行こうか。。

今日はこんな感じで。
それではまた。


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